鶏卵饅頭・今治
一笑堂

左から 保健所の方、門脇能和(六代目)

門脇貞夫(七代目)

昭和41年当時の鶏卵饅頭作り

昭和41年当時の鶏卵饅頭作り

左側 保健所の方
鶏卵饅頭・今治(昭和46年6月9日・愛媛新聞)
“まんじゅう”といっても、今治名物の鶏卵饅頭は、ちょうど柴栗くらいの大きさで、一口にパクリとうやれるミニまんじゅうだ。小豆のこしあんを、卵で練った皮種でくるみ、そのまま蒸した素朴なものだが、鶏卵のもつ自然なうま味とソフトな舌ざわりがなかなかいい。数ある今治名物のなかでも、最も古い伝統を誇る菓子の一つとして名が通っており、昭和41年植樹祭でご来県になった天皇・皇后両陛下からご料菓としての指定をうけ、お買い上げいただくという光栄にも浴している。
今から約370年前の慶長5年、いわゆる天下分け目の合戦といわれた関ヶ原の役で、東軍にくみして功のあった藤堂高虎は、宇和島8万3千石から一躍国府(桜井付近)の20万3千石の城主に封ぜられたが、築城の権威者でもあった高虎はこの城にあきたらず、さっそく蒼社川と浅川にはさまれて海をひかえた今治の地に目をつけた。当時20万3千石といえば、同じく松前10万石から松山20万石に転封した加藤嘉明と共に伊予の国を二分する経済力である。そこで、かねて心に描いていた台湾のジェーランジャ城をこの地に再現しようと思い立ち、慶長7年、築城と城下町づくりの大工事に着手、わずか2年3ヶ月という突貫工事で、たてよこ約9百メートル(八町)という大今治城と六筋の基盤目に整備された城下町を完成させた。
ちょうどこのころ、新しくできたお城の大手門付近に蒸しまんじゅうを製造する店が出た。その味きわめて美味であったことからたちまち評判となり、人はこれを大手饅頭と呼んんでひいきにした。やがて城主の耳にも達し、ご賞味の上、「なるほど世評にたがわぬワイ」というわけで、城内の茶菓用に取り立てられた。間もなく公は慶長13年、伊賀伊勢22万石の領主として転封になったが、その後も大手饅頭は、いろいろと苦心改良が加えられた。中でも、ようやく藩政時代も終わりに近づいたころ、大手饅頭をあきなっていた蛭子屋(えびすや)は、全く水を用いないで小麦粉を卵練りとし、その名も新たに「鶏卵饅頭」として売り出した。鶏卵といえば、当時はまだ食用としては珍しく、高価で貴重品的な存在であったろう。その自然で淡白な味や色合いがことのほか好評、もの珍しさも手伝って飛ぶように売れた。
この蛭子屋は、後に屋号を一笑堂と改称、現在は6代目にあたる門脇能和氏が、港の近く広小路に店をかまえている。
今では、今治名物といえば、即座に鶏卵饅頭の名があげられるほどだが、いまだに年配者の中にはこの菓子を大手饅頭と呼ぶ人もいる。その由来の一端をしのぶものとして、一笑堂の店頭には、代々伝えられてきた“今治藩ご用達・大手饅頭通い箱”がかざられている。桜井のものであろうか、黒ぬりのしっ器に“饅頭”の金文字があざやか、城内にお菓子を運んだ姿が目に浮かぶ。
他県の人たちに好評・今治港との関連も深い
鶏卵饅頭は、今では今治地方だけでなく、全国銘菓(全国銘菓協会会員)として広く名が通っている。むしろ地元よりも、松山、新居浜とか他県の人たちのおみやげ用に人気がある。戦前は、小型でしかも淡味であることから、京都あたりの舞い子さんたちが、節分の年豆のかわりにと、よく注文をしてきたという。なるほど、これなら、よほどの高齢者でもないかぎり、歳の数だけ食べることもできそうだ。
鶏卵饅頭が広く県外まで知られるようになった理由として、ひとつには今治港との関係がある。今治港は、今も別府・松山などと阪神方面を結ぶ瀬戸の海路の拠点であるが、桟橋ができるまでは汽船が着くと、はしけ船にこの地の名物名産を積みこんで売りにきたものである。港かいわいのひとたちは、この売り舟をウロウロ舟(売ろう、売ろうの転訛(―か)か?)と呼んでいたが、このウロウロ舟で最も人気の集まったもののひとつに鶏卵饅頭があった。今も一笑堂をたずねる古い客は「むかし、はしけで買って食った小さなまんじゅうを売っている店はこちらですか?」となつかしがる。
かつて青雲の志に燃えながら、来島海峡を渡っていった若い日の旅の思い出を、この素朴な菓子の味わいの中にもう一度かみしめようという人たちも少なくないにちがいない。
今むかし 一笑堂の名と饅頭 前田五健
現店主の門脇氏も、戦時には上海の航空隊に勤務。終戦と同時に今治へ引き揚げたが、物資の統制時代でもあり、タオルでも始めようかと焼け跡整理をしていたとこと、掘り返した土の中から、家伝のまんじゅうの焼き型が出てきた。――鶏卵饅頭には蒸しただけのものと、表面に巴形(ともえー)の焼を入れたものとの二種類あるーー。「やはり家業に精を出せということかや」と一念発起、ふたたび一笑堂の“のれん”をかかげることにした。
一笑堂とは、客が店に立ち寄ってくれるたびに、必ず笑って迎えるということで、先代々のころ、今治在住の南画家、鱸(すずき)亀峰氏=明治35年死去=が付けてくれた堂号だそうだ。
卵練りを考案した初代から数えて6代目にあたる門脇氏は、店づくりについて、「たしか日専連会長のことばだったと思いますが、“この街に、この店ありて客は楽し”といわれるような店でありたい」という。
姉妹品“笠松”、“美寿嘉羊羹”などとともに、“今治に、この店ありて客は楽し”といわれるような“店と味”を育て続けてほしいものだ。
※一部訂正・加筆あり。
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